タコメータは通常とは逆の左に回転、点灯するとガラスリングが輝く。ステアリングは現在所有するM3、330、E320のどれよりも軽いかも。

シフトレバーのないセンターコンソール、P,R,N,Dで選択、ステアリング奥のパドルシフトで変速可能。もちろんDレンジもあります。パドルシフトの変則スピードはオートマとしては世界一だとか。





2008年5月 アストンにナビ移植。 センターコンソールのウォールナットの一枚板を切り抜きモニターを設置。かなりな費用を要しましたが出来は素晴らしくお気に入り。 性能も最近のナビはすごいの一言。



アストンとマセラッティおそろいの図
 

ASTON MARTIN
フェラーリF355を手放して大人のGTを選んだ。 アストンマーチンDB9 2004年年末に日本に上陸後2005年5月現在、日本にはまだ50台も存在しないと言う貴重品。アトランティックカーズに飛び込み購入を打診するもフィーリングが会わずアストンマーチン赤坂にて購入した一台。色はブルーサファイア 紫が入った紺色みたいでこれならどこでも乗って行ける。まだ殆ど運転してないので多くは語れないが、エンジンをかけたときのズドドドドーーーーーンという音は演出過剰だけれど だ い す き。足回りはフェラーリF355同様しっかりびしっとしてるのでラグジュアリーな見かけと相反する部分である。内装はこれ以上は望めないほどリッチで手が込んでいる。写真じゃ 分らないだろうなあ、、、。 エンジンはフォード製6L 12気筒 アイドリングからあふれ出すトルクは今まで経験した車の中で一番、右足でなく右の親指で踏む感覚でデリケートに行かないと首が後ろに置いて行かれるほど強烈。慣らし中の上限3500回転まではあっという間なので神経を使う。 購入後 初期トラブル 右後輪からの走行時キュルキュル音、サイドブレーキパッドが当たっていると言うことで調整、ダッシュボード先端から走行時強烈なカタカタビリビリ、、、、、音、一端調整に出すも改善されず再入院予定。これが治らないと高級車ではないよなあ。


伝統のフロントマスク 007に使われたDB6の面影もある。

2005年秋 イギリスから アフター専門の技術者 クリスベーカー氏が来たので面会し 苦情を伝えた。    ダッシュボードのビリツキはその前に何回かの調整で完璧に治ったものの、運転中に頭痛がするのでフロントウインドウを調べたら かなりのゆがみを確認、 ビルを写すとゆらゆらのビルになりウインドウ上部では正方形が長方形に見えて、合わない乱視のめがねをかけて運転しているような状況、眼科医の知り合いに診断書を書いてもらおうかと考えるほどのゆがみに疲れ運転は遠ざかっていたが、クレームで他のガラスに張替え完了。しかし 前ほどではないがやはりゆがんでいる。  クリスベーカー氏は再度張替えを約束してくれたが、現在ドイツで生産しているこれを他の会社に製造所を変更していいものが出来たら再度交換ということになっている。

のちフロントガラス張り替え終了、まあ少しましって感じで運転しているけど、これはアストンの弱点だなあ。 

2006年1月  慣らしもすっかり終えといっても3000kmしか走ってないけど、F355より速く感じる加速力には驚かされる。ゼロスタートではどこまでもずーと続く加速が切れ目のないシフトのせいで貧血を起こしているような、疲れているときは気が遠くなるような、ながーい加速が怖いほど味わえる。 100kmからの加速も重厚なトルクにより、今までのったどの車より緊迫感のある車速ののびに圧倒されっぱなし。  

2007年3月  昨年一年で結構距離は伸び5000kmを軽くオーバー、走りは絶好調であります。同じ仕上げのものにも2回遭遇。


アストンマーチンから予期せぬご招待

2006年3月11日 半蔵門前にある立派なイギリス大使館にて開催されるロンドンシンフォニーオーケストラのプライベートコンサートへの招待状が届き緊張しながら出席してきました。アストンマーチンで入場しましたが門の前の太い車止めと強固なトビラがNoを確認したのか何の違和感もなくすーと開いたのには大感激と優越感。写真はその招待状と駐車券、運転手の入場許可証。150名ほどの集まりでアストンオーナーは10名前後だとかで英国関連企業の銀行、シャンパンメーカーの方たちが多数を占めていたそう。サロンコンサートを最前列で楽しみましたが、英語がサッパリ分からず演奏者たちのジョークが解せないままにこにこ笑っていたのは生粋の日本人だと実感した。のちのシャンパンパーティでのメニューは写真のような感じの質素なものが多くてがっかり、牛肉の串焼きも少数あったり、以外にもお寿司が出ていたけどどっかのテイクアウトみたいなもので再度がっかり、、、。イギリス料理に期待してはいけないことが十分認識された。  その後2006年9月8日 田崎真矢とアランデュカスのワイン、フランス料理デイナーのご招待もあったけど仕事の都合で断念。

握手して入場し暫くして写真をご一緒にとお願いするも、「あなた誰?」と言われてしまい「アストンマーチンのオーナー」と告げたが顔は堅いままのイギリス大使と奥様であった、、、。大使の名前は えーと 覚えてない。

演奏前に挨拶する大使。

で、アストンのフロントガラスは 上部ミラーの周辺のゆがみが大きく、3回張り替えてもらったけど相変わらず。サンバイザーをおろして気にしないようにして走っているけどこれだけが残念。相変わらず加速はすさまじく40〜80kmの中間加速は幾つかのフェラーリをもしのぐ1.7秒前後。海外データによると実測311キロの最高速だとか。そこまで出せる機会は絶対ないけれど、恐るべき数値は事実である。  2007年1月 冬の乾燥期に入り後部座席より皮がこすれあうようなかしゃかしゃ音、メルセデス同様今月中に調整に出す。 ああ、あと ウォッシャーノズルの位置調整が微妙なんだよね、あらぬ方向に液体噴霧してしまっている。


続いて 同じくアストンから招待されたルクセンブルク大使館訪問

2006年4月13日 アストンマーチン赤坂で同国出身の画家 ロバートブレンディの個展を鑑賞したのちルクセンブルク大使館へ、門表は立派だけれどマンションの1Fでうちの家より小さい大使館。45万人しか国民がおらず独立を維持するのも大変だと思うが国民一人あたりのGDPは世界一。日本は12位だそう。失業率も低く金融、鉄鋼、情報通信、ブドウ栽培で結構お金持ちの国であります。そんな中で陶器メーカーの日本社長フィリップジャルダン氏夫妻とお話が出来(奥様は日本人)て楽しい時間を過ごすことができました。氏は確かフランスの出身でしたが日本語が流ちょうでどこかテリー伊藤に似て親近感を覚えました。

 

ミシェル・プランシュール=トマシーニ ルクセンブルク大使と中学生、小学生の母であり重要な仕事をこなすスーパーレディ。
 




和歌山 有田川でのショット



2013年 秋
アストンマーチン100周年記念パレードランに参加しました。 ご覧のように超ビンテージアストンから現在のものまで、100台ほどがそろいFISCOを2周、もっとかっ跳びたかったけど台数多くてせいぜい100kmが限界。

↑これって正真正銘のボンドカー DB5